私はWEB・SEOを行う会社で働いていましたが、あるコンテンツに関して私が選んだキャプチャー画像を社長に提案したところ、「センス無い」と言われました。 センスの有無は評価として何ら客観的ではなく社長の独断と偏見だと思い、この人とは一緒にやっていけないと思い辞めました。
毎日お世話になっております。 上場ハウスメーカー40年勤務して早期退職制度にて今年退職しました。 定年まで後7年(65歳)有りましたが、最後の上司(エリア最高責任者)のやり方と合わず、ストレスMAXとなり一昨年救急搬送〜心臓手術となり予後もあまり良く無く、志半ばにして早期退職を選択しました。 40年間と言うキリのいい数字も退職を決意させたのかもしれません。家族もある意味ホッとしているようで、今ではほぼ毎日顔を合わせて居るので違うストレスも有りますが(笑)来年からの個人事業主とし現在段取りで忙しくしております。
若いころ今は亡き作家で投資家の邱 永漢さんの本を読み、「40歳定年」を常に意識してきました。これは40歳を若さの終着点としそれまではわきめもふらず働き学べ、40歳以降はそれまでの経験を活かすことを考えよという意味です。必ずしも40歳で会社を辞めろということでなく、一度立ち止まって修正しなさいという教えは説得力がありました。ちなみに私は40歳前後で早期退職制度に応募し現在は専業投資家です。リストラに周囲がざわつくなか自分は妙な既視感があり会社を辞めることに迷いはありませんでした。
工業高校の教員をしていまいしたが5年前に後、1年ちょっとで定年という時の11月に急に条例で毎年退職金が大幅下がりるということになりました。 学校ではSEのような業務を担当していて、その時期ICT関連の仕事は忙しくスキルを持っている人はいなくて引く手あまたでした。 1年後は退職金が100万減るし今なら早期勧奨で割増も付くということで俺の技術を安く見るなと思いやめました。 以前から投資はしていましたが、その退職金のほとんどをで株に突っ込んだらちょうどアベノミクスのタイミングと重なり1年分くらいの給料分稼ぎました。 今はその儲けで京都市に町屋を買ってゲストハウスを運営しています。
私は転勤族の会社員でした。独身、結婚、子供が幼稚園の時までは仕事しながら各地方を転々と仕事をしながらその地域の観光していましたが(個人的には楽しかったです。)、子供が小学校入学するのをきっかけに仕事を辞めました。仕事仲間の話では子供が学校の授業について行けない事に困ったなので単身赴任かいいのではないかと言われましたが、家族と離れ離れになるには抵抗があり実家の仕事を次ぐ選択になりました。生まれ育った土地は人との関わりも楽で子供が私が通っていた小学校、中学校は母校で学校のイベントなどに行く際には自分なりに懐かしく感じてます又同級生の関わることもあり良かったと思います。
自衛隊に四年あまり在籍していました。家庭での諸事情があったため大型自動車とフォークリフトの免許を取らせてもらい民間へ。
あれから約20年。「芸は身を助ける」てホントの話でした。実家での商売を手伝いながら個別に違う職業へ出向。駐車監視員の資格を取得する機会に恵まれ安全運転に。さらに高所作業車の資格のオマケや大型免許のおかげで給料加算される機会は多々ありました。
現在はFP(受験資格あり)や法律関係の勉強中です
今春、30年勤めた前の会社を早期退職制度にて辞め夏の終わりにから再就職しましたが、いまどきパワハラの巣のような職場であることや、生活サイクルや自分の性格には新しい業務が合いませんでした。早々に退職を決断し本日付けで退職です、大手系のイメージの良い会社だっただけに内実にがっかり。人の巡りあいも運ですね。しかし自分の適性にも気づくことができて無駄ではなかったと思います。
IPOをする側の仕事をしていました。1000億円規模の資金調達のIPOに主要メンバーで参加することが最終目標でしたが、丁度50歳の時に達成できました。子供が小学校に通う年になったこともあり、これまでの仕事一途だった反省もあり、子供との時間を大切にしたいと思い退職しました。 今は専業トレーダーをしています。 スムーズに行くIPOはほとんどありませんでした。IPOを断念し事業計画を大幅に見直す等の仕事をすることもありましたが、色々な人間模様も体験しながらも、今から思えば貴重な体験をさせて頂きました。
同僚、上司との人間関係です。 会社の業績は絶好調でしたが、同僚のパワハラ、上司の業務時間の昼寝や怠慢が耐え難くなり退職しました。パワハラマンについては会社の然るべき部署に訴えましたがパワハラは個人的な人間関係の問題と扱われ、昼寝マンは解決する能力もなく、改善を促すよりも自分の居場所を変えた方が早いと判断し辞めました。 ラッキーなことにすぐ現在の企業と縁があり、移れました。現職はワークライフバランスに優れてはいますが、業績は今ひとつ、仕事のスピード感もなく、やりがい等は失ってしまった感があります。なかなかバランスが取れずこれでよかったのかなと日々考えながら過ごしています。
健康出版社に31年勤務し、3年前に退職しました。 やめた理由は、親会社がころころと3社次々と代わりその度に、やり方などガラッと変わるのですが、役職者にとってその変化に合わせるのにホトホト疲れてしまい、デイトレの世界に入り、今のところなんとか生計をたてられています。 退職時に家を建て替えましたし(笑) なかなか有意義な日々を送っております。 あの毎朝の満員電車から解放されたことは最高です。 が、辞めてから実感してるのが、あの過酷な通勤が実は健康の源だったということです。 ほとんど家でPCに向かっていますので、絶対的運動量が減りこれはいけないと思い、ジムに入会し健康づくりに励んでおります。 経済的に恵まれてたことに感謝しています。
給料も待遇もよく、いい会社でしたが、 キャリアアップするにつれ、 自分に合わない管理系の仕事がメインとなり、 役職定年近くで会社を辞めました。
引き止められはしましたが、 お金や地位に捕らわれた仕事は後悔すると思い、 退職しました。 今は自分の夢に向かって頑張っています。
会社の経営悪化による給与カットから始まり、給与の支払いの2~3ヶ月の遅延、さらに会社側から社会保険を解約しなければならないという話が出たため、このまま居座っても将来が無いだろうと思い、転職できる年齢のうちに転職しようと思い、先月退職し現在は就職活動をしています。
(その他) 上司のパワハラが酷く、体調を壊し退社しました 泣き寝入りしているだけで、私を同じ理由で辞めた人は多い筈です
大手不動産会社に勤務していました。十数年間勤務していましたが、どうしても合わない嫌な上司がいました。元々いつか辞めようとは考えていましたが、退社したきっかけはおそらくその嫌な上司だったと思います。その後独立し、偶然にもチャンスに恵まれ、1年くらいの間で約3,000万円くらいのキャッシュができました。幸い借入がなかったことと、事業を始めるにあたって職種的に設備投資があまり要らなかった為、その後1年半くらいほとんど仕事をせずに遊びほうけてしまいました。反省し今は遊んだ分を取り戻そうと頑張って仕事をしています。一人で仕事をすると寂しいと感じることが多く、今となっては嫌な上司も仲間の一人として考えれば決して悪くはなかったかも、と思う時があります。
0/4000 chars
私はWEB・SEOを行う会社で働いていましたが、あるコンテンツに関して私が選んだキャプチャー画像を社長に提案したところ、「センス無い」と言われました。
センスの有無は評価として何ら客観的ではなく社長の独断と偏見だと思い、この人とは一緒にやっていけないと思い辞めました。
毎日お世話になっております。
上場ハウスメーカー40年勤務して早期退職制度にて今年退職しました。
定年まで後7年(65歳)有りましたが、最後の上司(エリア最高責任者)のやり方と合わず、ストレスMAXとなり一昨年救急搬送〜心臓手術となり予後もあまり良く無く、志半ばにして早期退職を選択しました。
40年間と言うキリのいい数字も退職を決意させたのかもしれません。家族もある意味ホッとしているようで、今ではほぼ毎日顔を合わせて居るので違うストレスも有りますが(笑)来年からの個人事業主とし現在段取りで忙しくしております。
若いころ今は亡き作家で投資家の邱 永漢さんの本を読み、「40歳定年」を常に意識してきました。これは40歳を若さの終着点としそれまではわきめもふらず働き学べ、40歳以降はそれまでの経験を活かすことを考えよという意味です。必ずしも40歳で会社を辞めろということでなく、一度立ち止まって修正しなさいという教えは説得力がありました。ちなみに私は40歳前後で早期退職制度に応募し現在は専業投資家です。リストラに周囲がざわつくなか自分は妙な既視感があり会社を辞めることに迷いはありませんでした。
工業高校の教員をしていまいしたが5年前に後、1年ちょっとで定年という時の11月に急に条例で毎年退職金が大幅下がりるということになりました。
学校ではSEのような業務を担当していて、その時期ICT関連の仕事は忙しくスキルを持っている人はいなくて引く手あまたでした。
1年後は退職金が100万減るし今なら早期勧奨で割増も付くということで俺の技術を安く見るなと思いやめました。
以前から投資はしていましたが、その退職金のほとんどをで株に突っ込んだらちょうどアベノミクスのタイミングと重なり1年分くらいの給料分稼ぎました。
今はその儲けで京都市に町屋を買ってゲストハウスを運営しています。
私は転勤族の会社員でした。独身、結婚、子供が幼稚園の時までは仕事しながら各地方を転々と仕事をしながらその地域の観光していましたが(個人的には楽しかったです。)、子供が小学校入学するのをきっかけに仕事を辞めました。仕事仲間の話では子供が学校の授業について行けない事に困ったなので単身赴任かいいのではないかと言われましたが、家族と離れ離れになるには抵抗があり実家の仕事を次ぐ選択になりました。生まれ育った土地は人との関わりも楽で子供が私が通っていた小学校、中学校は母校で学校のイベントなどに行く際には自分なりに懐かしく感じてます又同級生の関わることもあり良かったと思います。
自衛隊に四年あまり在籍していました。家庭での諸事情があったため大型自動車とフォークリフトの免許を取らせてもらい民間へ。
あれから約20年。「芸は身を助ける」てホントの話でした。実家での商売を手伝いながら個別に違う職業へ出向。駐車監視員の資格を取得する機会に恵まれ安全運転に。さらに高所作業車の資格のオマケや大型免許のおかげで給料加算される機会は多々ありました。
現在はFP(受験資格あり)や法律関係の勉強中です
今春、30年勤めた前の会社を早期退職制度にて辞め夏の終わりにから再就職しましたが、いまどきパワハラの巣のような職場であることや、生活サイクルや自分の性格には新しい業務が合いませんでした。早々に退職を決断し本日付けで退職です、大手系のイメージの良い会社だっただけに内実にがっかり。人の巡りあいも運ですね。しかし自分の適性にも気づくことができて無駄ではなかったと思います。
IPOをする側の仕事をしていました。1000億円規模の資金調達のIPOに主要メンバーで参加することが最終目標でしたが、丁度50歳の時に達成できました。子供が小学校に通う年になったこともあり、これまでの仕事一途だった反省もあり、子供との時間を大切にしたいと思い退職しました。
今は専業トレーダーをしています。
スムーズに行くIPOはほとんどありませんでした。IPOを断念し事業計画を大幅に見直す等の仕事をすることもありましたが、色々な人間模様も体験しながらも、今から思えば貴重な体験をさせて頂きました。
同僚、上司との人間関係です。
会社の業績は絶好調でしたが、同僚のパワハラ、上司の業務時間の昼寝や怠慢が耐え難くなり退職しました。パワハラマンについては会社の然るべき部署に訴えましたがパワハラは個人的な人間関係の問題と扱われ、昼寝マンは解決する能力もなく、改善を促すよりも自分の居場所を変えた方が早いと判断し辞めました。
ラッキーなことにすぐ現在の企業と縁があり、移れました。現職はワークライフバランスに優れてはいますが、業績は今ひとつ、仕事のスピード感もなく、やりがい等は失ってしまった感があります。なかなかバランスが取れずこれでよかったのかなと日々考えながら過ごしています。
健康出版社に31年勤務し、3年前に退職しました。
やめた理由は、親会社がころころと3社次々と代わりその度に、やり方などガラッと変わるのですが、役職者にとってその変化に合わせるのにホトホト疲れてしまい、デイトレの世界に入り、今のところなんとか生計をたてられています。
退職時に家を建て替えましたし(笑)
なかなか有意義な日々を送っております。
あの毎朝の満員電車から解放されたことは最高です。
が、辞めてから実感してるのが、あの過酷な通勤が実は健康の源だったということです。
ほとんど家でPCに向かっていますので、絶対的運動量が減りこれはいけないと思い、ジムに入会し健康づくりに励んでおります。
経済的に恵まれてたことに感謝しています。
給料も待遇もよく、いい会社でしたが、
キャリアアップするにつれ、
自分に合わない管理系の仕事がメインとなり、
役職定年近くで会社を辞めました。
引き止められはしましたが、
お金や地位に捕らわれた仕事は後悔すると思い、
退職しました。
今は自分の夢に向かって頑張っています。
会社の経営悪化による給与カットから始まり、給与の支払いの2~3ヶ月の遅延、さらに会社側から社会保険を解約しなければならないという話が出たため、このまま居座っても将来が無いだろうと思い、転職できる年齢のうちに転職しようと思い、先月退職し現在は就職活動をしています。
(その他)
上司のパワハラが酷く、体調を壊し退社しました
泣き寝入りしているだけで、私を同じ理由で辞めた人は多い筈です
大手不動産会社に勤務していました。十数年間勤務していましたが、どうしても合わない嫌な上司がいました。元々いつか辞めようとは考えていましたが、退社したきっかけはおそらくその嫌な上司だったと思います。その後独立し、偶然にもチャンスに恵まれ、1年くらいの間で約3,000万円くらいのキャッシュができました。幸い借入がなかったことと、事業を始めるにあたって職種的に設備投資があまり要らなかった為、その後1年半くらいほとんど仕事をせずに遊びほうけてしまいました。反省し今は遊んだ分を取り戻そうと頑張って仕事をしています。一人で仕事をすると寂しいと感じることが多く、今となっては嫌な上司も仲間の一人として考えれば決して悪くはなかったかも、と思う時があります。